誤解されるなぁ、書評の「☆ 〇つです!」

一席お付き合いを。喜餅です。

「新型コロナウイルスの影響で、かな~り・・・ヒマなんじゃない?喜餅さん」

・・・と、多くの方がそう思っているに違いない!

ヒマじゃないんです。逆に、慌ただしい毎日という(笑)むしろ、本を読む時間すら、また失っていたぐらい(笑)

それでもやっぱり、「インプット」は絶対的に必要だし、そもそも読みたい欲求がウズウズウズウズしてて。・・・で、また読んでる。相変わらず、雑食。

その読書から派生した、「書評によくつく『☆一つ!』とか『☆5つ!』とかって、誤解されない?」なんて話を一つ。

2018年からブクログというネットサービスに読書記録を up してて。

喜餅のブクログ→ The Shop Around the Corner
※この名前にピン!と来た方、連絡ください♪なにか差し上げます(マテ

up する狙いとしては単なる読書記録ってだけじゃなく・・・

①自分の読書記録を読んだ方達が「あぁ、読んでみたいなぁ」と思ってもらえるような概略(あらすじ)を書く技術を磨くこと

②純粋に読んでみて感じた点であったりパーソナルストーリーを重ねたりと、スピーチを書くためのキッカケとしたいこと

・・・みたいな狙いがあって。特に①については「感想文文化からの脱却」が。

それでまぁ、一冊ずつ書き重ねている訳ですよ。今のところ、この部分についてはちゃんと自分の狙い通りのことができてると思う。

そこじゃないところに、問題が。というより、違和感が。

それは、☆をつけることについて。

今でも普通に☆はつけてる・・・のだけど、最近「☆をつけるのって、百害あって一利なし、じゃない?」なんて思うようになってきた。副作用の方が多いような。

Amazon のレビューでもなんでもそうだけど、皆、☆をつけるのってどんな理由でつけてるのだろう?面白くないから☆1つ?面白かったら☆5つ?有意義な内容だったら☆5つ?「自分はレビュアーとして☆に関してはこんなポリシーでもってつけています。あらかじめご了承ください」的な重要事項説明「はい」ボタンを押したうえでレビューを読む?

☆をつけた側の意図と、レビュアーを読んだ側の☆への解釈、必ずしも合致しないよね?アタクシにとっては「その本を読んだ時点においては」有意義ではなかった(機微を楽しむだけの素地がなかった、とか、既に知ってることばかりだった、とか)かも知れないけれど、その本に収めてある事柄がピッタリくるレビュアーがいる可能性がある。

それを「☆1つか・・・じゃあ、読まなくてもいいかな?」ってなっちゃう可能性がある訳だよね?「概略」と「書評」を読んでもらって「読もう」「遠慮しときます」なら、まだ許容できる(そのレビュアーの書き手としての「作品」だからね、レビューって)けど、それが「☆」だけでフィルターかかっちゃうのは、書き手としても、それを読んでもらう方達にとっても、マイナスな気が。

10代・20代・・・40代と、年輪が刻まれることによって昔は全く面白くなかった本が今は凄く面白く(逆もある)なってることがある。そうなるとこういったサイトを長く使用すればするほど、冊数が増えれば増えるほど、自分に対しての「☆の数」も変化するしねぇ。あれかな、1,000冊ぐらいのレビューをすれば、なんとなく評価基準の平準化がされたりして、またそのレビューへの信頼度(これもまた、レビューの読み手が勝手に好みでもってレビュアーに☆をつけてるだけなのだけど 笑)が増すのかな?「数をこなす」って最近バカにされてる風潮あるけど、こなしたらこなしただけの厚み、でるからね。

なんだろう、「知的だ」とか「教養あるね」とか「センスあるレビューするね」って、判断する側に主導権が握られてるよね。世間(これだって、なんとも抽象的で軸のない言葉 笑)が言うところの、「まぁ、これぐらいの範囲内にいれば、知的・教養ある・センスある、じゃない?」って物差しに当てはめてるだけな可能性だってあるしね。誤解を恐れずに言うならば、その判断する人自身が知的なのか教養あるのかセンスを感じるセンスがあるのかも、関係してくるし。

「この本を☆1にするなんて、喜餅わかってねーなー」って感想より、「この本のこの書評・・・喜餅わかってねーなー」って感想を、あまんじて受けたいよね(笑)

うん、やっぱり☆の数つけるの・・・あんまりよくないな(笑)

ちなみに、今までの自分の☆への感覚は、☆3つ以上は「遠慮なく買って読んでいいと思う!」って感じなんだよね、実は。☆5つとかになると、(読んだその時点での)自分にビンビン響いた(有意義であったり興味深かったり面白かったり笑ったり・・・とにかくなんらかの感覚に「響いた」若しくは不足している穴が「埋まった」)とかになるかなー。超・個人的、ピンポイントの嗜好に刺さった、と言ってもいいんだよね。だからそれって、必ずしも他人の嗜好に刺さるものかは、保証できないという(笑)満たされる人がその本を読んだって、「うはっ!目から鱗!」にならないでしょう?(笑)

☆2あたりは、それこそ「読んで時点での喜餅」に響かなかった、または「読み手としての喜餅の準備不足」かな?☆1は・・・多分、そんなに冊数はないと思うけど・・・読むのが(まさしく読んで理解するのが)大変だった例かな。主語や目的語がめちゃめちゃ流動的で、「え?今この話題って、誰に関する話題なの?凄く・・・読みづらい!」って感じで(笑)読解能力めちゃめちゃ落ちたわーって凹んだもん(笑)どうやらそれはアタクシの勘違いで、他のレビュアーも似たようなこと書いてたのだけどね。著者さん、アタクシの☆1をエゴサーチで見つけて、脊髄反射的な反論記事をブログに up してた・・・怖いよそれも(笑)そういうのも、☆の副作用だなと思った

あとは・・・やっぱり単なる☆の数だけで、なんちゃらハックみたく判断するのって、「読書」で得られるナニカを逃してる気がする。キュレーターっていうのかな?要約したものを読んだだけで読書した気になる(要点だけは吸収しているけど、読書で得ることができる要素は、それだけじゃない)のと同じだと思う。

・・・ということで、この記事を書いてて、やっぱり☆をつけるのはあんまり意味ないなと思った次第。

これからはつけないようにしよう(笑)そして、今までのものはちょっとずつ外していこう・・・早い段階でこう決めることができてよかった。

・・・とか言いながら、ある日突然また☆をつけたくなったりして(笑)

おあとがよろしいようで。

About HoneyPotter

a Japanese/an English learner/a computer game player/a volunteer guide/an English rakugo performer (my stage name: 喜餅/Kimochi)
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1 Response to 誤解されるなぁ、書評の「☆ 〇つです!」

  1. Pingback: やっぱり「☆」を外してよかった | 喜餅の書き殴るキモチ

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