一席お付き合いを。喜餅です。
講演のお仕事を頂戴したりすると、最低10冊はその講演に関する本を読んだりする。今回はお仕事じゃないけれど、野球にからむスピーチをする必要があって読んでみた。
今回、話題にするのは読了した本・・・ではなく、その本にからむ Amazon レビューから、この一つ前の記事:誤解されるなぁ、書評の「☆ 〇つです!」 につながることを。
やっぱり自分の判断、よかったわぁ~(笑)☆をつけるのやめたことね。
読んでた野球関連の本、児童書の分類とされてて。小学校でも課題図書として推薦されてたりするそうだ。自分は知らなくて、でも大人の立場から読んでも物凄く楽しく読ませてもらってね。
6冊+番外編の計7冊、全て Kindle に入れて読んでしまったの。清々しい読了感だった。思春期の少年達の内面の多彩さと不器用さ、その少年達の周囲の大人達の距離感の取り方などなど、色々な角度から楽しませてもらったんだよね。
基本的に自分は「やすい」読者・映画鑑賞者だから、殆どの作品を楽しめるってところ、恵まれてるとは思ってる。
☆をつけるとしたら・・・3・4・5あたりかな?3か4・・・かな?
そんな作品、Amazon でこういったレビューがあった。誤解のないように。レビューそのものに対しての批判じゃないよ。「あぁ、こういう感想もありえるよな」ってことね。
そのレビューというのは、「国語の苦手な息子はあまり面白くなかったようだ」というもの。
親御さんが書かれたのかな?その親御さんも読んでみて、楽しかったからその感覚を共有したくて息子さんに読ませてみたけどダメだった・・・のかな?テーブルの上にさみしく置かれたその本・・・それを眺める息子さんと親御さんの視線の裏側には色んな思いが。・・・などと、色々なストーリーを想像してしまう。
その息子さんの国語力が本当にあるのかどうか、そもそも、国語力の問題なのか、わからない。その息子さんが何歳なのかもわからないしね。
その息子さんを否定したり、その国語力(?)を揶揄するつもりもないからね、しつこく言うけど。ただ、少なくとも、その息子さんは「現時点においては」その本とご縁を深くする準備ができてなかったってことだと思うのだよねぇ。
(別に自分が面白かった本だから、面白くない反応をしてる息子さんに、面白くないと思ってる・・・なんてことも、ないからね!)
でもさでもさ、もしそのお子さんがさ、5年・10年・・・ご自身がお子さんを持つような年齢になってから、小学校の課題図書かなにかでその本と再会することなんか起きてさ。「おっ、懐かしいな・・・昔、おふくろに読めって言われて読んだな。当時はつまんなかったけど・・・おっ、面白いじゃん!うわぁ~、主人公の気持ちもわかるけど、親の気持ちもわかるわぁ」なんてなるかも知れない訳よ。
幸せの時限爆弾だよ。
そんな「時間的な奥行き」が加わることで、この本の評価は変わる訳よ。それを平面な形で「☆が何個」で片付けられるとさー。
やっぱり☆評価を外したの、正解だったなぁ~・・・などと思ってしまった。
もっとも、理解はできるのだけどね、24時間じゃ足りない生活をしてる人達からすると☆が多いものを選びたいよね。
なんというか、正解が欲しいというよりも、失敗したくない、みたいな?「買う」となるとそれだけ「お金が出て行った」ってなるしね。
でも、そういった失敗も含めて、読書のような気がするのだけどなぁ~。それに、さっきも書いたように、「今、おもしろくない」でも次に読む時は「おもしろい」になってる可能性だってあるしね。そして、「どう面白く読もう」なんて発想だって育まれるし。
(「え?今、この話題でフォーカスあたってる人って誰?」と思わせたあの本は・・・次に読みたいと思うかは・・・わからないけど 笑)
・・・ということで、皆さん、☆の数についてはあまりこだわること、ないと思いますよぉ~。
おあとがよろしいようで。